2016/03/25
【77日目】奇策!戦国一の水攻め!
起終点:岡山県岡山市高松
今日のGPS
距離:19.96km
上昇:172m
加算距離:5373km
距離百分率:5373/9089=59.12%
天気:晴れ
気温:22/8度
シャワー:なし
宿泊:道の駅うたづ臨海公園
コスト:昨日宿泊1250、朝食551、昼食980、夕食640、補給617、チャージ1000、コインロッカー500,全部5538円。
中国語の文書はこちら
今日は歴史巡りです。
備中高松城の水攻め、
高松城は毛利の支城で、城主は清水宗治であった。
羽柴秀吉は水攻めの奇策を使って、
湿地にあるお城で本来なら城攻めが困難という利点を逆手に弱点にさせた。
戦国時代の戦いで、一番好きなのだ。
ちょっといなかなところだった。
ここに最上稲荷総本社があって、
すごいでかい鳥居だった。
2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」のかけで、
なんか人気になったそうだった。
駅の前にある看板を見て、
歴史スポットがいっぱい!
古戦場以外、お寺と古墳も多い。
戦いの時、水攻めのために長さ3キロくらいの堤防を作った。
一部しか残ってなくて、
今、公園として保存されてる。
陣跡が多いけど、指標は分かりにくいため、
まず、城跡にある資料館へ行った。
遺構がほとんどないけど、
湿地公園は水攻めの事を伝えてるそうだった。
本丸から西へ展望して、山は三つがある。
写真の中に、左手側のは小早川隆景の陣地があった日差山(江田山)。
右手側のは吉川元春の陣地があった庚申山。
まん中のは戦いと関係ない和霊山です。
本丸から見て、確かに山に囲まれてる平城だ。
こんな高地に囲まれたところは「危地」でしょう。
けど、周りの湿地は天然の堀になった。
確かに、水攻めの前に、羽柴軍勢の「正攻」が失敗した記録がある。
黒田官兵衛と話し合って、羽柴秀吉は毛利の援軍が来たうちに落城するため、
「水攻め」を決めた。
城主清水宗治自刃の地で、後ろの山は秀吉の本陣であった石井山。
この戦いの間に、本能寺の変が起きた。
結局、秀吉は毛利軍からの和解を受けた。
和解の条件は三国(備中、美作、伯耆)割譲と城主清水宗治の切腹だった。
その後、秀吉は奇跡的な中国大返しを遂行して、
山崎の戦いで謀反した明智光秀に勝て、天下人への道を歩いた。
だから、ここは羽柴秀吉から豊臣秀吉への起点だ!
切腹してから、介錯をしないと。
そして、首は敵の陣地まで運んで「首実検」を行う。
だから、清水宗治のお墓は「首塚」と「胴塚」二つがある。
そして、山登りだった。
秀吉の本陣があった石井山から高松城へ展望して、
左手のお寺の後ろには三の丸で、
右手の森は本丸で、中は二の丸でした。
午後、足守川を越えて、
それから毛利軍の陣地へ行った。
足守川は静かなようで、水攻めとか考えなかった。
わざわざ山を登って日差寺に着いた。
そして足で本物の山登りした。
ルートも指標も分かりやすくてよかった。
頂上にある鷹ノ巣城跡の近くに、
なんか空堀と石垣の遺構を発見した。
ここは小早川隆景の陣地だった。
景色良かった!岡山市にも見えてた。
北方面の鬼城山も。
前にあるのはもちろん備中高松古戦場!
写真の中にあるみどりは足守川です。
想像して、この川から後ろの山下まで全部湖になって、
お城はその中で浮いてて、
援軍は助けたくても力が及ばなかったんだろう。
左手側黄色の丘は造山古墳で、形が分かりやすかった。
造山古墳へ行った。
ここも陣地があったらしい。
ここから小早川隆景の陣地があった日差山に見える。
標高が低いから、お城までの景色はよくなかった。
左手側は吉川元春の陣地があった庚申山で、
後ろの山は羽柴勢の加藤清正の陣地だった。
右手側赤い大鳥居が少し見られて、
後ろには秀吉と黑田官兵衛の陣地でした。
大鳥居のかけで、お城が見つけられた。
お城は完全に町の中に隠れられてたから。
最後のスポットは吉川元春の陣地があった庚申山でした。
ここに帝釈天の神社がある。
木が高くて、景色は良くなかった。
足守駅の近くに水取入れ口があった。
この水取入れ口は加藤清正の陣地(橋の後ろにある山)の前にあった。
清正の役目はこの大事なところを守ったんだろう。
これで、一日の戦場巡りが終わった。
山も登ったし、疲れた!
けど、自分の足と目で体感してから、
戦いの事を詳しくなってよかった。
訂閱:
張貼留言 (Atom)
沒有留言:
張貼留言